今日のコーデ(2019年4月28日)

歌舞伎・舞踊カラーコーデ第4弾は妹背山のお三輪。
そろそろ苧環(花)の季節だと聞いて、お三輪コーデにしてみました。
三輪山ではなく上野の山へ、芸術鑑賞に!←鑑賞とは大げさで国立博物館をお散歩しただけ

【今日のコーデ】
①着物:グリーン地・松竹梅柄小紋ヤフオク
②帯:赤・江戸小紋きりばめ模様名古屋帯(ながもち屋/上野松坂屋
帯揚げ:絞り・桜柄(アンティークモール)
帯締め:グリーンに紫の矢羽三分紐(母方の祖母のおさがり)
     +鼈甲のさくらん帯留(いつものお店B)
⑤草履:グリーンの台に臙脂の鼻緒(赤坂・助六/母方のおばのおさがり)
⑥バッグ:山ぶどう

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#舞伎・舞踊カラーコーデ #コーディネート 
#kimono #着物 #kaimono #お買い物

その他(てぬぐい)

国立博物館で見つけた手ぬぐいです。
本館1階のラウンジ(中庭が見えるところ)の我部の装飾模様をデザインしたものと、国立博物館保管の、赤地花卉文様更紗裂の文様をデザインした2種類です。
お出かけするの楽しくなりそう💕

 

【購入データ】
・購入日:2019/4/28
・値段:それぞれ税込1,080円
・購入先:国立博物館ミュージアムショップ(入館料が必要です)

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#手ぬぐい #国立博物館
#kimono #着物 #kaimono #お買い物

「安く買った着物のお値段自慢」は着物の価値を下げる愚行なのか

SNSのグループで、「着物を安く手に入れて、その価格を自慢する投稿は、着物の価値を下げる行為で愚かしい。コーディネートとその人の所作や人柄、そのトータルで価値を高めていってほしい。」という投稿がありました。そののちコメント欄で「わたしの好きな着物の事を貶められているのを見ると腹が立って来る。」「聞かれてもいないのにお値段を吹聴するのはよくない」と書かれています。(原文要約)

色々な考え方がありますし、言うのは自由です。おそらくこの方は、わたしなんかよりずっと、着物への愛や思い入れが深いのでしょう。ただこれだけでは言葉足らずでその真意が伝わらず、とてももったいないなと思いながら、本当に「安く買った着物のお買い物自慢は着物の価値を下げることになるのか」を考えてみました。

 

①お値段を書く投稿について

この投稿の文章だけで正しく受け取れるのは、「安く手に入れた着物の価格の自慢」がよろしくないということ。おそらく、「ヤフオクで2000円で買っちゃいました!」とかいう類のものかと推測します。

わたしだったら、「(本当は店頭で買うと定価15,000円なのに、ネットオークションで手に入れた中古だけど)未使用美品で1,000円ちょっとで手に入った!」なんていう道明の帯締め…..嬉しくて誰かに聞いて欲しい。「伊と忠の可愛い草履なのに、ブランド名が書いてないからとってもお得に買えちゃった」なんていうのも自慢したいかな。
そういう自慢は、わかる人、できる人にしかできない自慢ですもん。
品質やブランドに関係なく「着物って高いイメージだけど、実はコレ500円なんです(だからそんなに本当はハードルは高くないのよ)」なんていう人もいると思うし、「京都の骨董市で、詰め放題でこんなに持ち帰ってきました。1,000円です。(素敵でしょ?)」「送料込みで2,000円弱、状態も良いしとっても満足です」なんていう投稿も見たことがあります。
骨董市詰め放題は、それこそセレブ感あふれる方の投稿でしたが、お金持ちでもそんなに安いところで買うんだ!という親近感がわき、とても好感が持てたのを覚えています。
個人的な感覚ですが、可愛らしい金額で本人にとってはその金額以上の満足感を現した感じの投稿は、いやらしくない金額表示ではないでしょうか。

逆に「どこそこで買った100万円の袋帯です」というのはあまり見たことはなく「どこそこに展示してあった100万円の袋帯です」というものや、お店の方が「こちらはおいくら万円です」というのは見たことがあります。ただ、お店の場合はaskが多いですかね。

お高いものを買った自慢はいやらしく見えると感じる人が多いのか、あまり金額を表示されませんよね。個人的には、「ああやっぱりこんなに素敵な帯はこのくらい出さないと買えないのよね(庶民には無理だわ)」という納得をさせて欲しいなと思ったりもします。←デパートでよくため息をつくイメージ

 

自分的には「お買い得だった!」と思っても、実は相場や世界を知らないだけでさほど安くなかった、なんてことは着物以外でもあります。その感覚を正確なものに近づけるためには、できるだけ現状を知ることは大切だと思うし、言葉は悪いけれどもぼったくり被害を少なくするためにも、その情報を共有していくことは大切だと、わたしは考えています。

 

②お金の話をタブーとしている日本

日本では、お金と政治、宗教の話を人前でしてはいけないと言います。それがどうしてだか考えたことはありませんでしたが、海外へいくとお金の話も、政治も宗教の話も、普通にします。国や人種によって考え方もあるとは思いますが、大きな自動車会社に勤める知り合いのイタリア人は、それはいくらか、お給料はいくらで税金はどのくらいひかれるのか、と、「お金の相場」への興味が尽きませんでした。

ではなぜ日本ではお金の話はタブーとされるのか。 所説あるようですが、日本人は、なぜ「お金の話」をするのは恥ずべきことだと思うようになったのか?リクナビNEXTジャーナル)を読むと、面白いです。国が「お金を汚い」と国民に思わせている説。 それからまとめサイトではありますがお金の話を堂々とする人と嫌って話さない人に貧富の差が出るって本当?!には「お金の使い方について日常的に考えるというのは、損をしない・得をしやすい思考回路へとつながる。」と書いてありました。
詳細は忘れてしまいましたが、子供のころからお金の管理などをしてお金に触れていると、お金の使い方がうまくなるというニュースも聞いたことがあるので、個人的には、お金の話をする、お金を知ることは、悪いことではないと考えています。

もうね、お金の話がタブーとか、お金の話をしないのが美徳な時代ではない気がするんですよね…..。
時代錯誤!

 

③着物を安く手に入れることについて

ひと昔前の恵まれたバブル時代と比べ、年収400万時代。人件費も物価もあがり、着物は贅沢な嗜好品と思われつつあります。正直、個人的には、着物は「ある程度お金をかけないと楽しめない」と思っていますが、それでも収入は限られていますから、できるだけ人件費や流通コストをかけずに市場に出ているものの中で、できるだけ納得のいくものを選んでいるつもりです。
だから、自分にとって良いものをどれだけ安く手に入れられるかが、わたしの中でのポイントになってくるわけです。

逆に、品質はさておき「お金をかけなくても楽しめるんだよ」とおっしゃる方も「数が欲しいからできるだけ安いものを」と考える方もいるでしょう。着物についての考え方や接し方は千差万別であって、「安く買うことが良いか悪いかを決める」のは、部外者の誰かではなく、買い手個人ではないでしょうか。

 

ただここでひとつだけ気になるのは「作り手の方が納得できる価格で購入できているか」という点。
機械でプリントして大量生産できるようなものでない場合、職人さん、作家さんが大変な思いをして、子供を育てるように1つの製品をつくりあげていきます。その方にも生活がかかっているし、製品、作品に対しての思いや誇りもあるでしょう。

わたしは買えるものは提示された金額で買うし、買えないものは諦めるだけです。欲しければ頑張って買うこともあります。買い叩いているわけでもないので、それによって作り手の方が泣いているかどうかは、中継の会社次第です。同じものが安く出せるか出せないかは、扱うお店のポリシーや規模、そして企業努力だろうと思うので、安く買うことに対して、買い手に罪はありません。
買い手側の非として考えられることとしては、「高額商品が買えない金銭的な余裕のなさ(安くないと買わないこと)」でしょうが、それはその人だけのせいではなく、時代や政策、家庭の事情も加味するでしょう。

リサイクル品に至っては、いったん新品市場に出て1人目のオーナーの手に渡った金額から職人さんや作家さんへの対価が払われることになると思いますが、著作権やライセンス商法とは異なるため、2人目のオーナーに渡った時に発生した売上げは、作り手には行きわたりません。それを考えると、「安値でやり取りされている、買いたたかれる着物がかわいそう」と、新品も中古もすべて一緒に考えるのは危険です。

 

④「着物の価値をさげる」とはどういうことか

「その着物に価値があるか」と聞かれたら、その着物のブランドや質、人気度、状態で一般的な価値をはかると思います。もしかしたら着物としてはたいしたものでなくても、思い入れによっては、自分の中での価値、というものがあるでしょう。

「自分にとって着物は価値があるものか」と聞かれたら、基本的には答えはNoです。着物は着るもの、ファッションであって、それ以上でもそれ以下でもありません。思い入れがあるものについては、上に書いたとおり、自分にとって価値のあるものになるかもしれませんが、所詮着るもの。その着物を着ることはわたしにとっては個性ではあるけれども、自己主張の材料にはなり得ません。

「着物を着ることで自分の価値があがるか」と聞かれたら、キョトンとすると思います。着物を着たって着なくたって、自分の価値は同じです。着物は高尚なものでもないし、着物を着ることで洋服より格があがるなんてこともありませんから、ちょっと勘違いされている方の言葉だとわたしは捉えます。

 

では「着る人によって着物の価値が変わるか」と聞かれたらどうでしょうか。
わたしは少し悩みます。
例えば同じ着物を石原さとみちゃんとわたしが着たら、石原さとみちゃんに着てもらった着物は誰が見てもとっても素敵なものに見えるかもしれません(素敵なものに見えないほどひどいクオリティの着物があることも事実です)。価値があがるわけです。でもこれは芸能人を使った広告であって、値段を高く、良いイメージをもたせるためのもの。一般人のAさんとBさんを比較したところで、何の意味があるでしょうか。

同じ着物を、わたしはちゃんと着て、別の人が変に着崩して着た時、そこで着物の価値は変わるでしょうか。これは着物の価値の問題ではなく「あら良い着物なのに着方が勿体ないわね」と、着方の問題になりませんか。着物に罪はないのです。

人によって考え方は色々とあると思いますが、わたしは、着物自体の価値は、買う人、着る人自身が決めるものであると考えます。
良い例えが出てこないのですが、とても不美人で普通以上にふくよかな方が素敵な着物を着てその姿が一般的にみて美しいものではなかったら、その着物は価値が下がるのでしょうか。その着物は可哀想なのでしょうか。 よく「綺麗に着てもらって着物が幸せね」という言葉を聞きますが、着物には意思がなく「幸せ」と感じるのはおかしいのではないかという屁理屈は置いておいて、どんな着方でも、大切に扱われて着てもらえること、着られない状態になってもその人の記憶に残っていることが、着物にとって幸せなのではないかと、わたしは思うのです。

とダラダラと書きましたが、着物に限らず物の価値をどうこう言えるほどわたしは偉い人でもないので、正直難しいことはよくわかりません。

 

⑤着物を安く手に入れて価値を自慢する行為は、ほんとうに着物の価値を下げるのか

「安いもの自慢」は、やり方や受け取り手によってはその人の価値を下げることになりかねないこともあります。が、「着物自体の価値を貶める愚かなこと」と結びつけるのはちょっと強引で、発想の乏しい人の結論ではないでしょうか。

この投稿者は、「安く買って値段を自慢することがよくないこと」と、断定していました。 上の④で書いたとおり、「良いか悪いか」というのは誰が決めるかを考えてみてください。法律のように決まっていることでもないので、公序良俗に反しているわけでもない他人の投稿に対して良し悪しを決められるほど、わたしはお偉くありません。だから「人それぞれでよいのではないか」と考えています。
もちろんそれに対する意見もさまざまあって良いと思っていますが、他人に押し付けるものではありません。

よって着物の価値を上げるか下げるかと決めて良いのは、それなりに権力、権限を持った方のみ(もしくは大勢を動かせる世論のみ)が許されることであって、どこの誰だかわからない人が発する言葉は、そう力があるものでもない、ただの愚行だなあ、と。
それこそ自分を貶める行為だと感じました。
ただ、そんな人が着る着物であっても着物に罪はないので価値が落ちるとは私は考えませんが、わたし以外の方がどう考えるのかは知りたい部分です。

※投稿自体が「安物自慢をするような人と同じレベルで着物好きというくくりにして欲しくない!」とか「安物自慢してるなんて、同じ着物好きとして恥ずかしい!」というものであれば、それはそれでまた別の主張なので、この考察とは別の考察が必要でしょう。気持ちはわからなくはありませんが。

 

 

このお買い物日記をつけるにあたり、お店と金額を出して良いのか、もちろん考えました。

裕福な方から見たら、こんな金額は珍しくもなんともない額。
でもお小遣いに余裕のない人は着物につぎ込めるひと月の金額は限られていて、こんなしょぼいお買い物日記でも合計すれば結構な金額になるので、「お金ある自慢(お金使える自慢?)」に見えないこともない、いやらしいものかもしれないと思ったからです。
こと着物の世界においては、公の場で金額の提示をすることは積極的に行われないことも多く、日本ではお金の話はタブー。

それでも、素人には判断しづらいグレーな世界ではあるので、きちんと、自分のために記録したいと思いました。そしてせっかく記録としてつけるのであれば、3日坊主にならないように誰かに見て欲しい(欲求)。そこで公開ブログにしたわけです。

ブログに載せた写真で品質はわかりませんし、わたしの不得意なデパートや呉服店での大きなお買い物はないので、他人には参考にならないケースも多いと思います。が、だいたいの相場観を自分の中でまとめられるだろうし、他の人が中古品をどのくらいで買っているか、逆にいえばこれだけ出せばこのくらいのものが探せるのではないか?売る時はこのくらいまで見積もれるだろうかなどという、ほんの少しでも目安にはなるはずです。

ゴールは決めていませんが、自分にとって価値ある情報を蓄積した場所になるとよいなと思って、更新を続けたいと思います。
愚か者と後ろ指をさされて笑われない程度に...!

今日のコーデ(2019年4月23日)

 

歌舞伎・舞踊カラーコーデ第3弾は子守。
黄八丈と言えば子守かお七しか浮かばなかったのですが、キャラ的にわたしは子守よね~ということで可愛い感じでまとめました。
小物を紫にしたらお七風かな?と思ったのですが、どうでしょうか。

【今日のコーデ】
①着物:黄八丈(いつものお店B)
②帯:赤・江戸小紋きりばめ模様名古屋帯(ながもち屋/上野松坂屋
帯揚げ:緑・無地ちりめん(いつものお店A)
帯締め:ピンク三分紐(京都きねや)+お友達からいただいた手作り帯留
⑤草履:赤×黒・小紋柄草履(母のおさがり)
⑥バッグ:山ぶどう

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#舞伎・舞踊カラーコーデ #コーディネート 
#kimono #着物 #kaimono #お買い物

よく話題になる「着物警察」について考えること。

お買い物ブログではありますが、着物について思ったことを少しづつ、つづっていければ良いなと思っています。今回は、着物警察についてのなんちゃって考察と、わたしのスタンスを3300字程度でまとめました。
長いので興味のある方だけ、読んでみてください。

 

きのう銀座へ向かう途中、遠目にも品質が良いとわかるうすいグレーの無地に黒い長羽織を羽織った、素敵な白髪のおばさまが銀座線に乗り込んできました。

ため息が出るほど素敵な着物姿の方がいらしても、知らない方のことをジロジロみるのは失礼にあたるとあまり見ないようにはしているのですが(理性で思っているだけで実際そうでないこともある)、頑張って着付けしてもらいました!ではなくご自分で着付けし慣れている感、さらに演出していない、日々の生活からあふれてくるような上品な雰囲気がとても素敵で、うっとりモードで見入ってしまいそうになった時…気づいてしまいました。

そのおばさまの、羽織りの襟が立っていたのです。折ろうとした感じにはなっていたので、たまたまうまく折れなかったのかなと推測しました。

 

そんな時、わたしはどう行動すればよいのでしょうか。
①わざわざ近寄って、声をかける
②わざわざ近寄って、直してあげる
③まさかの「あえて」かもしれないので、そっとしておく
④知らない人なので、知らんぷりする
⑤お友達が教えてくれる、あとで自分で気づくことを期待して、声はかけない
⑥その他(この時にその他の答えは自分のなかで浮かんでいない)

 

その時に選んだ答えは、⑤でした。
おばさまは、わたしと同じ銀座で電車を降りました。降りるタイミングで声をかけることも考えましたが、わたしの方が電車から降りるのが早かったので、変に待ち伏せするようなのもわざとらしい。③のあえてかもしれなくて、自信もない。 この装いはきっと、これからお友達と約束されているに違いない。このあともしかしたら着物警察に遭遇してしまうかもしれないけれども、ウィンドウにうつった姿で気づくかもしれないし、⑤という選択に希望を託してわたしは黙っていよう、そう思ったのです。

この答えが正解かどうかはそれぞれのケースや個人の考えによると思うので、ほんとうの答えはわかりません。でも、良かれと思って善意の声かけ(お直し)がすべて「着物警察」と称されて批判されるのはどうかな、と、指摘する側に立って考えた出来事でした。 

 

むかし職場の着物女子と着物談義をしていた時、着崩れている人や誤った着方をしている人に声をかけるか(直してあげるか)という話になりました。

その時に、「着物を着て“楽しんでいる”人に対し、着崩れや誤りを指摘したことで、その楽しんでいる雰囲気を崩してそのあとの時間を残念な気持ちにしてしまうのはマナー違反だと、マナーの先生が言っていた」と聞いたのを、今でも覚えています。たしかに。

着慣れていない浴衣を頑張って着て、だいすきな彼氏と花火大会へ行く日。ルンルンでお出かけしていたのに、知らない人に「浴衣のあわせが左右逆ですよ」と言われたら、どうでしょうか。しかも言うだけで直してくれるわけでもない。1日中それが気になって、もしかしたら花火も、デートも楽しめないかもしれません。

憧れの「着物で歌舞伎座」。自分ではとっても満足でハッピーだったのに、歌舞伎座で「その着物は歌舞伎座にそぐわない」って知らない人に言われてしまったら?そうはいえども、もうそれ着てきちゃったの、家に帰って着替えて出てくるっていう選択肢はもうないの、そぐわないってなにがどうダメなの!...って、楽しみにしていた歌舞伎が1ミリも楽しめない、なんてことがあるかもしれません。

(正直そんなレベルだったら、わたしなら着物を着ませんけど...)

 

でも逆に、「お太鼓のタレがめくれていますよ」とか、ほんのちょっと直せば綺麗になることならば、わたしは声をかけて欲しいと思っています。そのままで歩いて、知らない人から後ろ指さされ、しいては盗撮されたり着物界隈のSNSなどで(個人が特定できなかったとしても)笑いのネタにされたくありません。しかもタレの中に隠している折り曲げたおはしょりとか補正のタオルを見せながら今まで歩いていたなんて、考えるだけで死にたいくらい赤面!

だからそんなことがないように、できるだけ一般的に見て恥ずかしくない、変に着崩れない着付けができればよいな、と日々研究中。適度に鏡を見て着崩れても自分でパパっと直せる着付け、立ち上がった時におはしょりやタレくらい自然に気にして直すクセをつけるなど、できるだけ知らない人に注意していただくことがないように、自分に無理のない着付けやお直しテクニックを探しているところではありますが、その道のりもなかなか険しい。

ちょっとやそっとじゃ直せない迷惑防止条例にひっかかりそうな汚い着付けで街を颯爽と歩くのは論外ですけど...そんな発展途上のわたしみたいな人には、優しい声かけも本当は大切なんじゃないか、と思うのです。着物に限らず。

ただポイントは、「そのままでいると恥ずかしいこと」を、「いきなり触って直してあげる」ではなく「声をかけて伝える」こと。必要であれば一緒に直す、手伝えるスタンスであること。そして、その方がどのような状態で着物を着ているのか判断して対応すること。直せないのに伝えるだけという中途半端なことはしないこと。

これだけ気を付けるだけで、着物警察が、もしかしたら素敵な着物の大先輩になり得るの可能性が出てきそうです。

面識のない知らない方に声をかける、知らない方から声をかけていただくのって、どうしてもいまのご時世だとどちらもしづらいのは正直なところ。でも昔の日本はもっと他人に対してとても寛容で、お互い助けあい、協力しあい、生活してきました。着物が好きなもの同士、他人にも優しく、相手の気持ちも考えて親切に接することができれば良いなと、心から思ったのでした。

 

最後に、ではなぜ「着物警察」が迷惑だと批判的に言われるのか。

その人は着物警察になりたくてなったわけではなくて、発端は「善意」のはずだった。けれども相手から「迷惑」だと思われているのは、「勝手に着物に触ってくる」ことと「教えてあげている」という上から目線が、問題ではないかと考えました。

たとえば洋服の時、トイレでスカートがめくれてお尻が丸見えのまま手を洗っていたら。カーディガンを裏返しに着ていたり、ボタンをかけちがえていたら。歯に口紅がついていたら。いきなり触って直すなんてことはせず、声をかけるでしょう。それと一緒で、普通は「善意」で、こうなってますよ、相手によっては(できないなら)直してさしあげましょうか、と接する順序があるし、直接直してあげるかあげないかは、その人との関係性によって決まります。

それなのになぜか、こと着物になると、何も考えずに「直してあげよう」「教えてあげよう(何かいいたい)」という気持ちが先に出てくる方がいることは否めません。 むかしは「ちょっとおかしいところは直してあげる」という行為は、比較的普通だったように思います。でも今は「人」とのかかわり方がその時代と違っているから、それを迷惑と捉える人もいます。ましてやキモノは高価なもの、思い入れのあるもの、だから知らない人に勝手に触られたくないという気持ちも、昔と比べるとありますよね。

そして指摘する側の思い上がりというと語弊もあるかもしれませんが、「着物は高尚なもの」「わたしは着物について良く知っている」「着物は洋服よりワンランク上の格がある」などと勘違いする方もちらほら。そしてそういう方に限ってなぜか押しつけがましい。だから余計、せっかくの善意が、迷惑だと受け取られてしまうのかな。
まあ、なんともったいない善意の無駄遣い。

 

本当なら、「あら素敵ね、(色々お話した後に)でもこうした方がもっと素敵じゃない?」とか、目があってお互いにっこりした後に「あ、羽織りの襟が立ってますよ(そして他愛もない話)」みたいなの、理想なのです。

でも人見知りなわたしは、声をかけられない限りは、自分から声をかけることはよっぽどのことじゃないとありません。そして考え方のねじれや思い込みが相手によっては嫌悪感を増幅させるので、わたしは、着物を着ても目立たずおとなしくお行儀よく。本当に伝えなくちゃいけないということだけを見極めて、必要なことだけ親切に伝えられる大人になりたいなと、ぼんやりと思ったのでした。

今日のコーデ(2019年4月21日)

 

歌舞伎・舞踊カラーコーデ第2弾も藤娘で~す。
着物のお友達と、銀座のエスコフィエでランチ💕のあとの、今昔きもの市。買わない買わないと言い聞かせ、戦利品ゼロで帰ってきました✌

【今日のコーデ】
①着物:薄紫に藤などの辻が花風小紋(母のおさがり)
②帯:黒地に藤柄の名古屋帯ヤフオク
帯揚げ:白地に赤の輪だし(加藤萬)
帯締め:猩々緋の冠組(道明)
⑤草履:薄ピンクの台、薄紫・白の鼻緒(小松屋
⑥バッグ:山ぶどう

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#舞伎・舞踊カラーコーデ #コーディネート #道明
#kimono #着物 #kaimono #お買い物

今日のコーデ(2019年4月20日)

歌舞伎・舞踊カラーコーデ第1弾で、藤娘コーデ。手持ちだとこのくらいが限界です💦
日本橋~銀座へおつかいに行ってきました。

【今日のコーデ】
①着物:くすんだ草色の無地一つ紋(母方の祖母のおさがり)
②帯:オレンジ地・藤柄・刺繍名古屋帯ヤフオク
帯揚げ:白×黄色のしぼり(父方の祖母のおさがり)
帯締め:御岳組(道明/ヤフオク
⑤草履:黄色い台にカラフルな市松の鼻緒(ぎをんない藤)
⑥バッグ:山ぶどう

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#歌舞伎・舞踊カラーコーデ #コーディネート #道明
#kimono #着物 #kaimono #お買い物