「安く買った着物のお値段自慢」は着物の価値を下げる愚行なのか

SNSのグループで、「着物を安く手に入れて、その価格を自慢する投稿は、着物の価値を下げる行為で愚かしい。コーディネートとその人の所作や人柄、そのトータルで価値を高めていってほしい。」という投稿がありました。そののちコメント欄で「わたしの好きな着物の事を貶められているのを見ると腹が立って来る。」「聞かれてもいないのにお値段を吹聴するのはよくない」と書かれています。(原文要約)

色々な考え方がありますし、言うのは自由です。おそらくこの方は、わたしなんかよりずっと、着物への愛や思い入れが深いのでしょう。ただこれだけでは言葉足らずでその真意が伝わらず、とてももったいないなと思いながら、本当に「安く買った着物のお買い物自慢は着物の価値を下げることになるのか」を考えてみました。

 

①お値段を書く投稿について

この投稿の文章だけで正しく受け取れるのは、「安く手に入れた着物の価格の自慢」がよろしくないということ。おそらく、「ヤフオクで2000円で買っちゃいました!」とかいう類のものかと推測します。

わたしだったら、「(本当は店頭で買うと定価15,000円なのに、ネットオークションで手に入れた中古だけど)未使用美品で1,000円ちょっとで手に入った!」なんていう道明の帯締め…..嬉しくて誰かに聞いて欲しい。「伊と忠の可愛い草履なのに、ブランド名が書いてないからとってもお得に買えちゃった」なんていうのも自慢したいかな。
そういう自慢は、わかる人、できる人にしかできない自慢ですもん。
品質やブランドに関係なく「着物って高いイメージだけど、実はコレ500円なんです(だからそんなに本当はハードルは高くないのよ)」なんていう人もいると思うし、「京都の骨董市で、詰め放題でこんなに持ち帰ってきました。1,000円です。(素敵でしょ?)」「送料込みで2,000円弱、状態も良いしとっても満足です」なんていう投稿も見たことがあります。
骨董市詰め放題は、それこそセレブ感あふれる方の投稿でしたが、お金持ちでもそんなに安いところで買うんだ!という親近感がわき、とても好感が持てたのを覚えています。
個人的な感覚ですが、可愛らしい金額で本人にとってはその金額以上の満足感を現した感じの投稿は、いやらしくない金額表示ではないでしょうか。

逆に「どこそこで買った100万円の袋帯です」というのはあまり見たことはなく「どこそこに展示してあった100万円の袋帯です」というものや、お店の方が「こちらはおいくら万円です」というのは見たことがあります。ただ、お店の場合はaskが多いですかね。

お高いものを買った自慢はいやらしく見えると感じる人が多いのか、あまり金額を表示されませんよね。個人的には、「ああやっぱりこんなに素敵な帯はこのくらい出さないと買えないのよね(庶民には無理だわ)」という納得をさせて欲しいなと思ったりもします。←デパートでよくため息をつくイメージ

 

自分的には「お買い得だった!」と思っても、実は相場や世界を知らないだけでさほど安くなかった、なんてことは着物以外でもあります。その感覚を正確なものに近づけるためには、できるだけ現状を知ることは大切だと思うし、言葉は悪いけれどもぼったくり被害を少なくするためにも、その情報を共有していくことは大切だと、わたしは考えています。

 

②お金の話をタブーとしている日本

日本では、お金と政治、宗教の話を人前でしてはいけないと言います。それがどうしてだか考えたことはありませんでしたが、海外へいくとお金の話も、政治も宗教の話も、普通にします。国や人種によって考え方もあるとは思いますが、大きな自動車会社に勤める知り合いのイタリア人は、それはいくらか、お給料はいくらで税金はどのくらいひかれるのか、と、「お金の相場」への興味が尽きませんでした。

ではなぜ日本ではお金の話はタブーとされるのか。 所説あるようですが、日本人は、なぜ「お金の話」をするのは恥ずべきことだと思うようになったのか?リクナビNEXTジャーナル)を読むと、面白いです。国が「お金を汚い」と国民に思わせている説。 それからまとめサイトではありますがお金の話を堂々とする人と嫌って話さない人に貧富の差が出るって本当?!には「お金の使い方について日常的に考えるというのは、損をしない・得をしやすい思考回路へとつながる。」と書いてありました。
詳細は忘れてしまいましたが、子供のころからお金の管理などをしてお金に触れていると、お金の使い方がうまくなるというニュースも聞いたことがあるので、個人的には、お金の話をする、お金を知ることは、悪いことではないと考えています。

もうね、お金の話がタブーとか、お金の話をしないのが美徳な時代ではない気がするんですよね…..。
時代錯誤!

 

③着物を安く手に入れることについて

ひと昔前の恵まれたバブル時代と比べ、年収400万時代。人件費も物価もあがり、着物は贅沢な嗜好品と思われつつあります。正直、個人的には、着物は「ある程度お金をかけないと楽しめない」と思っていますが、それでも収入は限られていますから、できるだけ人件費や流通コストをかけずに市場に出ているものの中で、できるだけ納得のいくものを選んでいるつもりです。
だから、自分にとって良いものをどれだけ安く手に入れられるかが、わたしの中でのポイントになってくるわけです。

逆に、品質はさておき「お金をかけなくても楽しめるんだよ」とおっしゃる方も「数が欲しいからできるだけ安いものを」と考える方もいるでしょう。着物についての考え方や接し方は千差万別であって、「安く買うことが良いか悪いかを決める」のは、部外者の誰かではなく、買い手個人ではないでしょうか。

 

ただここでひとつだけ気になるのは「作り手の方が納得できる価格で購入できているか」という点。
機械でプリントして大量生産できるようなものでない場合、職人さん、作家さんが大変な思いをして、子供を育てるように1つの製品をつくりあげていきます。その方にも生活がかかっているし、製品、作品に対しての思いや誇りもあるでしょう。

わたしは買えるものは提示された金額で買うし、買えないものは諦めるだけです。欲しければ頑張って買うこともあります。買い叩いているわけでもないので、それによって作り手の方が泣いているかどうかは、中継の会社次第です。同じものが安く出せるか出せないかは、扱うお店のポリシーや規模、そして企業努力だろうと思うので、安く買うことに対して、買い手に罪はありません。
買い手側の非として考えられることとしては、「高額商品が買えない金銭的な余裕のなさ(安くないと買わないこと)」でしょうが、それはその人だけのせいではなく、時代や政策、家庭の事情も加味するでしょう。

リサイクル品に至っては、いったん新品市場に出て1人目のオーナーの手に渡った金額から職人さんや作家さんへの対価が払われることになると思いますが、著作権やライセンス商法とは異なるため、2人目のオーナーに渡った時に発生した売上げは、作り手には行きわたりません。それを考えると、「安値でやり取りされている、買いたたかれる着物がかわいそう」と、新品も中古もすべて一緒に考えるのは危険です。

 

④「着物の価値をさげる」とはどういうことか

「その着物に価値があるか」と聞かれたら、その着物のブランドや質、人気度、状態で一般的な価値をはかると思います。もしかしたら着物としてはたいしたものでなくても、思い入れによっては、自分の中での価値、というものがあるでしょう。

「自分にとって着物は価値があるものか」と聞かれたら、基本的には答えはNoです。着物は着るもの、ファッションであって、それ以上でもそれ以下でもありません。思い入れがあるものについては、上に書いたとおり、自分にとって価値のあるものになるかもしれませんが、所詮着るもの。その着物を着ることはわたしにとっては個性ではあるけれども、自己主張の材料にはなり得ません。

「着物を着ることで自分の価値があがるか」と聞かれたら、キョトンとすると思います。着物を着たって着なくたって、自分の価値は同じです。着物は高尚なものでもないし、着物を着ることで洋服より格があがるなんてこともありませんから、ちょっと勘違いされている方の言葉だとわたしは捉えます。

 

では「着る人によって着物の価値が変わるか」と聞かれたらどうでしょうか。
わたしは少し悩みます。
例えば同じ着物を石原さとみちゃんとわたしが着たら、石原さとみちゃんに着てもらった着物は誰が見てもとっても素敵なものに見えるかもしれません(素敵なものに見えないほどひどいクオリティの着物があることも事実です)。価値があがるわけです。でもこれは芸能人を使った広告であって、値段を高く、良いイメージをもたせるためのもの。一般人のAさんとBさんを比較したところで、何の意味があるでしょうか。

同じ着物を、わたしはちゃんと着て、別の人が変に着崩して着た時、そこで着物の価値は変わるでしょうか。これは着物の価値の問題ではなく「あら良い着物なのに着方が勿体ないわね」と、着方の問題になりませんか。着物に罪はないのです。

人によって考え方は色々とあると思いますが、わたしは、着物自体の価値は、買う人、着る人自身が決めるものであると考えます。
良い例えが出てこないのですが、とても不美人で普通以上にふくよかな方が素敵な着物を着てその姿が一般的にみて美しいものではなかったら、その着物は価値が下がるのでしょうか。その着物は可哀想なのでしょうか。 よく「綺麗に着てもらって着物が幸せね」という言葉を聞きますが、着物には意思がなく「幸せ」と感じるのはおかしいのではないかという屁理屈は置いておいて、どんな着方でも、大切に扱われて着てもらえること、着られない状態になってもその人の記憶に残っていることが、着物にとって幸せなのではないかと、わたしは思うのです。

とダラダラと書きましたが、着物に限らず物の価値をどうこう言えるほどわたしは偉い人でもないので、正直難しいことはよくわかりません。

 

⑤着物を安く手に入れて価値を自慢する行為は、ほんとうに着物の価値を下げるのか

「安いもの自慢」は、やり方や受け取り手によってはその人の価値を下げることになりかねないこともあります。が、「着物自体の価値を貶める愚かなこと」と結びつけるのはちょっと強引で、発想の乏しい人の結論ではないでしょうか。

この投稿者は、「安く買って値段を自慢することがよくないこと」と、断定していました。 上の④で書いたとおり、「良いか悪いか」というのは誰が決めるかを考えてみてください。法律のように決まっていることでもないので、公序良俗に反しているわけでもない他人の投稿に対して良し悪しを決められるほど、わたしはお偉くありません。だから「人それぞれでよいのではないか」と考えています。
もちろんそれに対する意見もさまざまあって良いと思っていますが、他人に押し付けるものではありません。

よって着物の価値を上げるか下げるかと決めて良いのは、それなりに権力、権限を持った方のみ(もしくは大勢を動かせる世論のみ)が許されることであって、どこの誰だかわからない人が発する言葉は、そう力があるものでもない、ただの愚行だなあ、と。
それこそ自分を貶める行為だと感じました。
ただ、そんな人が着る着物であっても着物に罪はないので価値が落ちるとは私は考えませんが、わたし以外の方がどう考えるのかは知りたい部分です。

※投稿自体が「安物自慢をするような人と同じレベルで着物好きというくくりにして欲しくない!」とか「安物自慢してるなんて、同じ着物好きとして恥ずかしい!」というものであれば、それはそれでまた別の主張なので、この考察とは別の考察が必要でしょう。気持ちはわからなくはありませんが。

 

 

このお買い物日記をつけるにあたり、お店と金額を出して良いのか、もちろん考えました。

裕福な方から見たら、こんな金額は珍しくもなんともない額。
でもお小遣いに余裕のない人は着物につぎ込めるひと月の金額は限られていて、こんなしょぼいお買い物日記でも合計すれば結構な金額になるので、「お金ある自慢(お金使える自慢?)」に見えないこともない、いやらしいものかもしれないと思ったからです。
こと着物の世界においては、公の場で金額の提示をすることは積極的に行われないことも多く、日本ではお金の話はタブー。

それでも、素人には判断しづらいグレーな世界ではあるので、きちんと、自分のために記録したいと思いました。そしてせっかく記録としてつけるのであれば、3日坊主にならないように誰かに見て欲しい(欲求)。そこで公開ブログにしたわけです。

ブログに載せた写真で品質はわかりませんし、わたしの不得意なデパートや呉服店での大きなお買い物はないので、他人には参考にならないケースも多いと思います。が、だいたいの相場観を自分の中でまとめられるだろうし、他の人が中古品をどのくらいで買っているか、逆にいえばこれだけ出せばこのくらいのものが探せるのではないか?売る時はこのくらいまで見積もれるだろうかなどという、ほんの少しでも目安にはなるはずです。

ゴールは決めていませんが、自分にとって価値ある情報を蓄積した場所になるとよいなと思って、更新を続けたいと思います。
愚か者と後ろ指をさされて笑われない程度に...!