お金をかけない着物生活が可能か、考えてみた。

先日「きものはお金をかけないでも楽しめる趣味になるのか。 」について思ったことをまとめてみましたが、それに引き続き、「お金をかけない着物生活が可能か」について、個人的な考えをまとめました。

わたしは、「きものはお金をかけずに楽しめるよ」とは、お友達には言いません。
それは前の投稿で書いたとおりの理由があるのですが、前提は「趣味として」であって、それが趣味か日常着かによって、わたしの中でも考え方は少し変わってくるのかな、と、考えたわけです。
ということで今日は、着物は高額という常識は崩れつつあるか、そして、きものは日常着として復活する日が来るのか、について考えてみました。
最初にお伝えしておきますが、確かなエビデンスがあるわけでもなく、あくまでも個人的に感じたきことや考えであり、良し悪しを判断しようとか判断してもらおうと思っているものではありません。

 

1、着物=高額という常識は崩れつつあるか

①周りの印象
まずはわたしが週末にきものを着ていることを知っているお友達の反応をまとめてみました

・すごーい!!!
なんだかよくわからないけれども、きものを持っている、きものを着ているというと、「すごい」って言われます。
もともと日舞を習っていたし、祖母も母もなにかの度にきものを着ていたこともあり、わたしにとって「きものを着ること」はさほど特別なこと、ではありません。でも週末きもの生活を始める前は、とにかくきものを着るって「面倒くさい」って思っていましたし、着物を着る回数が増えた今でも、面倒くさいって感じることもあります。
だからまあ、「すごい」って言われると「えっへん、頑張ったんだ~!」などと思うこともありますが、正直なところちょっと気恥ずかしいです。 だってわたしの中では、みんなが言うほど「特別なもの」ではないから、「ん?なにがすごいの?」って思うんですよね。
あっ、今度「すごい」って言われたら「なにがどうすごいって思うのか」を聞いてみよう。

・きものって、お高いんでしょう?
そう聞かれたら「ものにもよるけど、安くはないよね」って答えます。
即答です。
昨日もお友達と話していたのですが、ものの価値や値段の感じ方って、なかなか難しいですよね。 彼女とは美味しいものを食べに行くお友達(もとはきものつながり)なので、美味しいコーヒーなら2,000円でも出すし、高級フレンチのランチに30,000円も出せます。
でも人によってはコーヒーはコンビニで十分でドトールでさえ高いとか、ハンバーガーはマクドナルドで数百円で食べられるのにホテルや専門店の2,000円超えが高いと思ったり、しますよね?
逆にわたしはユニクロでちょっといいなと思ったワンピースが8,000円.....ユニクロのくせにそれはないな~って、かなり悩みますが、点数の少ない刺繍カーディガン12,000円?!なら買うよね、って思ったりもします。
※もちろんその出せる金額は、育ってきた環境や収入、その月のお小遣いの余裕でも変わると思うので、どれが正しいとか、どれが良いとか、そういう話ではありません

数百円のリユースきものがあることは確かなので「(お値段的には)高くないものもあるよ」とはいえますが、それは本当に高くないのか、そう考えるとどうかなって、個人的には最近よく思うのです。

例えば、船場センタービルで300円で買った、黄色い献上名古屋帯があります。
見つけた時は、黄色い献上帯欲しかったし、普段に使うなら絹でも化繊でもウールでも(素材がわからなくても)300円ならお得?!って思った帯。「特別このお店の店員さん感じが良いし、この人から買うきものなら間違いがないな」って思ったわけでもなく、むしろ「300円でいいならこれ買ってはやく退散しようか」レベルのお店..... お値段的にはとっても安いけれども、結局「(出所も状態も素材もなんかすべて)よくわからない黄色い帯」という認識で、たまに存在すら忘れるところにしまってあります。
帯買う分でたこ焼き食べれたじゃん、って思う食いしん坊なので、多分そのうち使わないまま手放すでしょう。

リユースのお店すべてがそうとは限りませんが、商売をしている以上、「高く売れる」とわかっているものは、高く売りたいはず。
じゃあなぜ数百円の値段がついているかというと、高く売れるほどの価値がないからです(状態が悪い、サイズが特殊、素材が良くない、ブランド名がない、仕分けの手間を省いて検品していない、単にその価値をわかっていない、など、理由は様々)。
わたしに目利きできる力があって、黄色の献上帯がお値段以上のお買い物ならば「安い」けれども、それ相応の妥当なお値段ならば、それはわたしの中で「決して安いとはいえない」のです。

理屈っぽいと思う方もいるでしょうけど、個人的には「値段」や「高い/安い」という言葉、コスパや価値を含めての相対的評価でとらえてしまっているから、「安いのもあるよ」とか「安く揃えることはできるよ」って曖昧な感じでしか言えなくなってきているのかもしれません。

・着るの大変そう
大変です。
もちろん慣れればだいぶ楽になるけれども、着付けるのも大変だし、準備も大変、片付けもお手入れも大変。
だからわたしは、体調が悪い時も、きものは着ません。

この季節、洋服なら下着、Tシャツにスカート、カーディガン持参で出勤します。足元はストッキングか素足にパンプスかな。きものの場合は、下着と肌襦袢(エアリズムT肌着+ステテコ)、汗取りスリップ、長じゅばん(もしくは美容襟とつけ袖)、きもの、帯、帯揚げ+帯締め。足袋に草履か下駄.....そしてバッグには、万が一の着付け補正用の腰ひもとクリップ(使ったことは一度もない)と塵除けにもできるショール。と、用意するアイテムだって多い!
半襟を縫い付けたり、予め着るものを用意しておいたり、脱いでちょっと干して、たたんで、しまう作業も多い。

えっと、もし「そんなことないよ~」って普通に言える方がいるのなら、どういう考え方をすれば、もしくはどうやって付き合っていけば「きものを着ることの負担」がいろんな意味で減るのか、ホントに教えて欲しいです。

・よくわからないけど「特別なもの」って感じ
わたしたちの世代は、七五三、成人式、入学式や卒業式、結婚式などの「礼装としてのきもの」というイメージが、比較的強い気がします。
上にも書いたとおり日舞界にほんの少し足をつっこんでいたこともあり、わが家での「きもの」は、礼装としても普段着としてもお稽古着としても着るもの、でした。でも「着物は高いもの、お手入れにもお金がかかるもの」と母から洗脳されてたので、お稽古着(普段着)はともかく、色無地以上は「特別なもの」だったなあ。
だからそういわれるのも、わからなくはない。「そうだよね、まあ所詮着るもの(ファッション)だけど」って最近は思うけど。

・素敵~❣
ごめんなさい、これは本当に「かゆい」。

普段褒められ慣れていないので、きものを着てるだけで「素敵」って褒められるの、苦手なのです。別にわたしが素敵なわけでも着物が素敵なわけでも「きものを着てるあなたが素敵」っていう褒められ方は意味が不明だし不本意
逆に「素敵なきものね」って褒められると「でしょでしょ!」って思うし、「素敵なコーディネイトね」って言われると頑張った甲斐があったと自分をねぎらってあげられるので嬉しいです。
すいません、わたし相当、面倒くさい人ですね💦(自覚あり)

 

②...で、本当にきものは「高額」なのか

金額だけで言うなら、相当安く買えるものもあることは確かなので、何も考えなければ、答えはNoなのです。
でも素直に「高くないよ」って言えない気持ち(意見)もわかっていただけ.....ましたかね?

 

 

2、きものは日常着として復活する日が来るのか

①自分がきものを着る理由
わたしが週末きもの生活をはじめたのは、「そこにきものがあったから」です。
そして「着なきゃゴミだよね」って夫に言われたから。
どうせ着るならちゃんと綺麗に着たい、後ろ指さされるような(陰でdisられるような)着方やコーデはしたくない、そのレベルです。 ※わたしが好きか嫌いかは別として、他人については、似合っていて周りの人に迷惑をかけなていなければ良いと思います

きものを見る目があったかというとそれは疑問ですが、祖父母の家は比較的裕福だったので(お金持ちではない)、きものにもお金をかけていました。また大叔母が「人と違うものを」と母の服やきものを選んでいたので、奇抜なものはないけれども、流行りものやよく見るような柄行きもあまりありません。
子供の入学式に誂えたもの、母の七五三のきもののデザインを真似て誂えたもの、祖父が視察で大島へ行った時に買ってきたもの、伯母の形見、などなど、それぞれにストーリーがあります。だからなんとなく、思い出を身にまとっている感じからはじまりました。

最近は昔のきものの素材、質、デザインが好き。好みで買える範囲のものを買って満足してたまに着る、っていうのが正しいのかもしれません。

 

②友達がきものを着る理由
何人かのお友達に聞いた、きものを着る理由をピックアップしました。
「きものを着てる自分が好き!」というよりは「いかに自分をよく見せるか考えた結果」「コレクター・マニア精神で集めてしまった成果物」「体調や気分を良くしてくれるもの」、そしてわたしと同じく「(家族の)おさがりがそこにあったから」という理由で、きものと向き合っているお友達が多いです。
※わたしフィルターを通しているので話が悪いように湾曲してたらごめんなさい、ご指摘ください!

・お茶のお稽古をはじめた
メーカー勤務アラサー女子(北陸)。 お母さまもとくにきものを持っていたわけでもなく、環境的にはきものに縁がない家庭。
成人式の振袖も着ていないが、大学時代にお茶をはじめたのがキッカケ。
シンエイからの段ボールが毎週届くような、マニアな収集癖あり。
わたしたちの中では草履イメルダと呼んでいますが、彼女が持ってるのは草履だけじゃないよ~。 シンエイで超安く、なかには1円で買ったきものや帯もあり、うまく、かわいくコーディネイトしています。そんなにきものにはお金をかけていないようだけど、わたしが知る限りでは、帯揚げ(加藤萬)や草履(伊と忠や長谷川はきもの)にはお金をかけるようになってきました。

・海外留学のための自分演出
海外産まれ海外育ちのアラフォー帰国子女(都民)。
ヨーロッパの大学へ行くにあたり、「欧米人のソワレに匹敵する(どころか勝てる)ものは何か?」と考えた時に「アンティークきもの」を選んだという、生粋のアンティーク着物女子。
高さも幅もないミニマムの彼女は、大きな欧米人の中で自分がドレスを着たところで勝てないどころか埋もれて見えないと思ったとか。
アンティークきものも(量)、きもの歴(期間)もあるので、見る目は確か。別名オビドメルダ。

・自分を救ってくれた
飲食店経営のアラフィフ姐さん(関西)。
体調が悪く趣味も楽しめなくなっていた時に、レンタルきものを着たことがキッカケ(らしい)。 気持ち的にも落ち込んでいた自分をアゲてくれたのが、きもの。
近所のリサイクルショップで買う数百円のきものから、一竹や羽田登喜男も持っているきものマニア。

 

③日常着としてのきものは、アリかナシか
お仕事できものを着る方にとっては、アリだと思います。
それでも、品出しや棚卸の時には洋服でやると聞いたこともあるので、100%きもの生活のお友達は、まだ周りにはいません。

週5で洋服で仕事をしているわたしにとっては、休みの日にしか着れないものなので、普通に考えたら「日常着としてはナシ」というか「ムリ」だなあ。
でも、良い意味でも悪い意味でも目立ちたくないので、きものを着てジロジロみられるのは不快です。だから「(お稽古事をしているわけでもなく)好きできものを着る人が珍しい」という風潮は、どうにかならないかなあと思ってます。

きものを着て困るのは、献血(洋服で来てくださいと言われる)、病院(ぜんそくの診察とか、胸に聴診器当てられない)、美容院(汚れる心配などもあり嫌がられることもある)、スパやマッサージ・温泉など(着替えに時間がかかる)、引越しや片付けなど(汚れるし動きづらい)。あと悪天候(濡れたり汚れるのがわかっていてあえてきもので出かける必要がない)。

自分は大丈夫でも周囲に気を遣わせてしまうというケースもあるので、なかなか難しい時代かなと思います。大丈夫わかってるから放っておいて!と、思うこともある。

だからきものは日常着として復活する日が来るのか 、これはもう、社会と周囲の理解レベルによるのではないでしょうか。

 

 

3、お金をかけない着物生活が可能か

日常着としてきものを選んだ場合、そうそうお金はかけていられないと思います。だから、できるだけお金をかけない工夫をする(でもその分時間や手間がかかったりする)という方法はあります。
でもだいたい500円で買ったきものは埃っぽかったりして洗いたいし、きものを自分で洗うと縮んでしまったり、いろいろと苦労もあるのではないでしょうか。

週5洋服のわたしは、消耗品のTシャツなどはGAPやバナリパ、無印などの安価なものを選んでいます。その中にたまに15,000円のポールスミスがあったりもするわけですが、お出かけしないなら(特別な予定がないなら)そうそうお金ばっかりかけていられない、というのも正直なところ。

お手入れも、一張羅は白洋舎、その他は近所のクリーニングやさん、家で洗えるものは洗濯機(もしくは手洗い)。 それを考えるときもののお手入れは洋服よりもちょっとお金も手間もかかります。日常的にシンナーで襟や袖をふく、家でお洗濯できるならいいけれどもきもののクリーニングも白洋舎(ロイヤル)レベル。

中には「世田谷のボロ市で安く買って着潰すからお手入れはしない」という子もいましたので、きものとの向き合い方、考え方次第では「お金がかかるかどうか」が決まるんだろうと思っています。
でもやっぱりわたしには、どう頑張っても「きものはお金がかかるもの」であって、それ以下ではないような気がしてなりません。

 

いつかは「きものはお金かけなくても着れるよ」とか「きものって高くないんだよ」って普通に言えるようになっていたり、するのかな。ああそれはもう買い足すものがなくって、あるもので、好きなようにきもの生活ができた時、なのかな。